HOME
団体情報
団体概要
メールでのお問合せ
団体規約
活動紹介
活動の歩み
ペガサス通信
子どもに伝えるプロジェクト
会員募集
活動の歩み
第1期(1997年~2001年)
WFPは世界最大の食糧援助機関だが、横浜市が誘致したこの頃、日本では知っている人は少なく、
まずは広報が必要だった。開設当初職員は所長と秘書1名のみで事務所にその余裕はなく、
応援団は市民への広報を目指し、各区の区民まつりなどに積極的に参加し募金をした。
またTシャツなどのグッズ制作・販売など通じて寄付にも力を入れた。
当時、WFPは(当時)横浜で唯一の国連機関であり、
国連支援の市民ボランティア団体が珍しかったため新聞、雑誌にもとりあげられた。
第2期(2002年~2011年)
1999年に発足した「日本WFP友好協会」は03年には「特定非営利活動法人 国連WFP協会」となり、
04年から公共広告機構(ACジャパン)による広告が始まるなど徐々に知名度が上がってきた。
そのためもあり市民や学校が、「WFP」やそれを支援する市民団体としての
「WFP応援団」に興味関心を持ち、講師として出向くことも多くなった。
WFP協会が組織を大きく成長させる中、私たちは応援団の活動を
どのようにしていけばいいのか話し合いを重ね、きちんとした体制を整えるよう努めた。
WFP協会との役割分担で、応援団はあくまで市民へのアピール、
特に子供への働きかけを重視し、子供向けのツールづくりを始めた。
紙芝居やパネルシアター、食の不平等を可視化した「3つの食卓」のジオラマや
フェルト作品は今も様々なイベントで活用されている。
他方、区民まつり、地域の国際交流祭りなどへの出展は、有料化や様々な変化に伴い参加頻度は減っていった。
第3期(2011年~2016年)
パネルシアター「僕はサッカー選手になりたい」は11年に内容に一部手を加え、
協会によって展示パネルが制作され、さらに子ども用小冊子になって、イベントで配布されるようになった。
「飛び出す絵本」や「おもしろ募金箱」の制作など、子供を向けのツール作りは協会とも相談しながら続けられた。
世代交代が大きな懸案となっていたが、11年、15年と若い世代にバトンタッチをすることができた。
フェイスブック公式ページの公開、様々な団体組織から講師を迎えての連続講演会、「ペガサス合唱団」の結成、
夏祭り、新年会の開催等が実現している。ペガサス合唱隊はNHKが募集した
「明日へ1min ~ 100万人の花は咲く」に応募。2016年5月に放送された。
応援団は2016年に設立20周年を迎えた。
今後も新しい会員の獲得、定例会への参加促進など課題も多いが、
楽しく長く続けられるボランティア活動を目指していきたい。
応援団の歴史(xlsxファイル)
▲TOP
このホームページに記載の記事 ・ 写真・イラストなどの無断転載を禁じます。
Copyright(C) 2016. WFP応援団 All rights reserved.